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昭和46年、宮崎県はこれまでの肉用子牛主体の生産県から、地域内一貫生産体制を進めるべく、産地食肉処理施設として、経済連も出資する「宮崎県畜産公社」を設立しました。
その後、昭和50年代に入り、本県の肉用牛は飛躍的に生産拡大が進み「宮崎県畜産公社」だけでの対応が不可能とになったことから、経済連が主体的に運営する「宮崎くみあい食肉」を設立、さらに、昭和56年には「宮崎県畜産公社」を合併し、現在の高崎工場、都農工場の2工場で系統での県内一貫体制が確立しました。
このような中、県を始め肉用牛関係団体から定時、定量、定質の出荷体制が整った「宮崎牛」を全国にその名を知らせるべきではないかとの声が出始めました。
このため、昭和61年、本会、県、生産者団体で構成する「より良き宮崎牛づくり対策協議会」を創設しました。
本協議会では、当初から全国からの銘柄牛の代表である「松坂牛」や「神戸牛」に追いつくためには、何か強烈なアピールが必要なことから、国民が一度は目にするであろう大相撲優勝力士への「宮崎牛」贈呈が最も効果的なPR方法ではないかとの意見でした。
第1回の贈呈を昭和61年11月場所(九州場所)で行い、松形知事(当時)が土俵上で宮崎牛1頭分の目録を優勝力士の千代の富士へ授与、会場内の至る所から知事へのシュプレキコールが上がり「宮崎牛」の堂々のデビューとなりました。
またジャイアンツやソフトバンクホークス等のプロ野球球団、プロサッカーチームが宮崎で春季、秋季キャンプを行う毎に「宮崎牛」を贈呈し、全国へ「宮崎牛」の名声をアピールしてきました。
さらに、大相撲贈呈を契機に県内外の消費者を対象に宮崎牛フェアを行うとともに「宮崎牛」の品質確保と消費者への信頼維持を目的に、指定店制度を導入し、平成19年には、県内外の精肉販売店やレストラン等、309店舗まで拡大しています。
一方、平成3年の牛肉輸入自由化では、一方的な輸入攻勢に屈服することなく、本県からもアメリカに対して輸出すべく、くみあい食肉高崎工場を対米輸出認定工場として処理施設を整備するとともに、平成13年のBSE発生では、都農工場もあわせてBSEに対応した施設整備を行ったところです。
平成19年10月に鳥取で開催された「第9回全国和牛能力共進会」で9区中7区で優等首席、種牛の部、肉牛の部でグランドチャンピオン「内閣総理大臣賞」を獲得するなど名実ともに「宮崎牛」が日本一となっています。